メッセージブログ

2024.06.23

人生の主語が変わる瞬間

 

ガラテヤ1:11-24

さっということでガラテヤ人への手紙のシリーズが先週からスタートしました。今週も続きをやっていきたいと思います。今日はもう早速ですね11-12節いただきたいと思います。

兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。 私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。

ガラテヤ1:11-12


ハイもういきなり何のこと?そういうことですよね。パウロは何やら自分の宣べ伝えている福音は、人間によるものではないっということを言っています。で私たちからしたら、いやそりゃあそうなんでしょうと。聖書自体が神の言葉なのではないんですか?とこう思うわけです。ではなぜわざわざパウロは改めてこのように言っているのか?

そこで思い出していただきたいのが、このガラテヤ人への手紙が書かれた背景です。先週Timさんがシリーズの第一回目ということで1節から10節をカバーしてくださいました。そしてこれは手紙であるにもかかわらずパウロは挨拶を早々に切り上げてかなり厳しめトーンで6節にありますように「ほかの福音」に影響を受けつつあるガラテヤの教会に警鐘を鳴らしています。ガラテヤの教会はパウロが伝道をして建てた教会でありました。しかしながら彼が旅立ったのち、「ほかの福音」つまり間違った教えを広める人たちが表れ、その教えに翻弄されそうになっていた。で「ほかの福音」に流されつつあるガラテヤの教会を守るために書かれたのが、このガラテヤ人への手紙だと。さてではこの「ほかの福音」とはどのような間違った教えだったのか?まあ簡単に言いますと、「もちろん私たちは十字架によって救われる。だけれども本当の意味で神の民として受け入れられるには、本当の意味でクリスチャンになるには、旧約聖書に書いてある律法をすべて守らければだめですよ」っというそういう教えですね。でそれに対してパウロは「イヤイヤ、救いはイエス様の十字架を信じる信仰によってのみ、何も付け足してはならない」と主張している。教会を守るために、真っ向から戦いを挑むそんな手紙でありました。

 

で戻ってきまして11節。私の伝えている福音は人間によるものでもなければ、人間から受けたものでもないと。ありました。どういことか、間違った教えを広めていた輩も黙っていたわけではないようで、逆にパウロを批判していたようです。パウロが宣べ伝えている福音は、実は彼が自分で考え出したものなんだとか、エルサレムにいる12使徒たちから聞いたものを自分の解釈で広めているんだけなんだとか。そういうことを吹聴していた。でっそれに対して、パウロは「いや私は、この福音を人間からうけとったのではなくイエス様から直接受けたんだ。」と言っている。その表現が12節の「イエス・キリストの啓示によって受けたのです」というところです。


「えー啓示ってまた難しい言葉わかんないんですけど」ってそういうことですよね。まあ簡単に言うと啓示というのは神様からあらわにされた、示された真実という意味です。つまりパウロが伝えている福音とは、彼の考えや、あるいは経験談から、こうなったら幸せになりますよっ的なアドバイスではなくして、神様から直接与えられたメッセージだということを言っているんですね。


その流れで13節からパウロは自分の証を語っていきます。なぜいきなり証を始めるのか?でそれは、パウロにとって自分の人生におこった変化こそが福音を直接神様からうけとったという何よりの証拠だったからではないのかなと思います。 ちょっと13-14節ご覧になってください。


以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。 また私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。

ガラテヤ1:13-14

ここがパウロがイエス様と出会う前。Beforeの部分ですね。ポイントは二つです。一つ目はパウロはかつて教会を激しく迫害していた。使徒の働き22:4 でも「私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。」とパウロ自身が言っています。ステパノが処刑されたときに、石を打つ者たちの服が返り血を浴びないように、処刑する者たちの衣服の番をしていたのがパウロであったのは有名ではないでしょうか。直接ではないにしろ、パウロは教会を迫害し、結果クリスチャンたちを死にまでも追いやっていた。二つ目、でその激しい迫害の動機はどこから来ていたのかと言うと、彼が正しいと信じていたユダヤ教に対する熱心さから来ていました。これもパウロ自身が言っていることですが。使徒の働き26:5 「私は、私たちの宗教の最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活してまいりました。」ユダヤ教ではトップの教育を受け、ことさら律法に厳しく生きてきたと、パリサイ人と言えば何といっても律法主義です。とにかく厳しく律法を学び、完璧に守るっということに誇りをかけてきた。その熱心から、その律法を守るのではなく、十字架を信じる信仰だけが救いをもたらすと説くようなキリスト教はけしからんと、積極的に迫害してきた。それこそが正義だと思って生きてきた。パウロというのはそういう人物でありました。けれどもそのパウロの人生が劇的に変えられます。


続いて15‐16節

けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、 異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき私はすぐに、人には相談せず、

ガラテヤ1:15-16


神様がパウロの人生に介入してくださいまいます。ここですね、「御子を私のうちに掲示することを良しとされた」。ちょっと難しい表現ですが、御子、つまりイエス様がパウロの前に掲示される、いや文字通り目の前に現れてくださる。そうして彼の人生は劇的に変わりました。ちょっと使徒の働き9章開いていただいて、どのようにイエス様がパウロに現れたのかということ具体的に見たいと思います。

さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、 ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。 彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、お答えがあった。わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

使徒の働き9:1-5

この出会いがあってパウロの人生は一変します。

パウロはだんだんと意見を変えたとかではなくして、ある時を境に彼の人生は180度転換し、キリストを教会を迫害するものから、今やキリストを福音を伝えるものへと変えられました。とすればこれは人間業ではない、自然の成り行きで、なんとなーくクリスチャンになったのとはわけが違います。パウロはそのことをさして「この劇的な変化こそが私がイエス様から直接福音を受け取った、という何よりの証拠でしょっ」と言っているわけですね。


17節以降は彼がキリストに出会い救われた後のことがかかれていますが。16節の最後にあったように「私はすぐ、人には相談せず」エルサレムにすぐ行って、12弟子に直接教えを乞うたのではないとか。3年間アラビアの荒野で過ごしたとか、まあとにかく誰かの教えに影響を受けたとか、そういうことではないんだよということが24節まで展開されていきます。長いので今日はちょっと省略させてください。是非皆さんご自身で読んでいただければと思いますが。要は彼が宣べ伝えている福音というのは、人から受け取った教えではないということが強調されています。

っというのがまあ今日の箇所の全体的な流れです。だから偽物の福音に流されるなとパウロは説いています。さてここからは改めて、なぜパウロはここで証を語ったのかということを考えていきたいと思います。でそれはまず第一に、彼の人生の変化、ある時点を境に、迫害するモノから福音を伝えるものに変えられたという事実こそが、パウロの語っている福音の真実性を担保する証拠になるからだ、ということをここまで話してきました。しかしながら実はもう一つ理由があるのではないか思うんですね。でそれは福音のメッセージの本質を理解するうえで、パウロの歩んだ人生の道のりというのは非常にわかりやすいイラストレーションになっているということが一つあるのではないでしょうか。


 どういうことか、冒頭でもみましたが。間違った教え「ほかの福音」のメッセージというのは要約すると。十字架によって救われるのだけれども、プラスアルファが必要だと。でそれは律法を守る、つまり人間の努力が必要だというものでした。


 でそれで言いますとね、このプラスアルファの部分、律法を守る、人間の努力、のエキスパートだったのがパウロなわけですよ。彼はエリート街道を走るパリサイ人でありました。そしてそのことに命を懸けていた。ね。これこそが自分の生きる道なんだとそう信じていたわけですよ。人間の努力という意味では、やれることはすべてやってきた人でした。先ほど13-14節でその様子をみましたね。人一倍熱心だったと。ちょっともう一度ご覧になっていただいて。

以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。 また私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。

使徒1:13-14

注目していただきたいのは、主語の部分ですね。ほぼ全部「私」です。「私の行動」「私は教会を迫害し」「私はユダヤ教に人一倍熱心でした。」イエス様に出会う前のパウロの人生はどこまでいっても「私」が中心の人生でありました。私が努力して律法を守り、私が頑張って聖書を学び、私の考えで徹底的に教会を迫害する。私の行動がすべてを決めていく、そういう感じでしょうか。


 でそれで言いますとね、私たちもまた同じではないかと思わされます。いやもちろん私はかつてキリスト教を迫害していましたという人はいないでしょう。けれどもキリストに出会う前の私たちの人生というのはやっぱり「私」が中心の人生だったのではないでしょうか。でそれは必ずしも、「わがまま」とか「自分勝手」とか「自己中心的」とかそういうことではないのかもしれない。特に日本人ならばそうですね。周りのことも考えて、迷惑をかけないように、礼儀正しく。ですから外から見れば、ほとんどの人は「いい人」でありましょう。けれども人生を歩んでいく時の根本的な価値観として、「私の行動」「私の考え」が人生を決めていくんだ。端的に言ってしまえば、自分の人生は自分次第だ。そう思って生きている人がほとんどなのではないか。なぜならやっぱり私たちの生きている世界は、努力とその結果が評価される世界だからです。学校には通信簿があり、社会に出て仕事をすれば、そのパフォーマンスがボーナスや昇進という形で反映される。生まれてこの方そういう世界に生きているわけですから、当然人生は努力次第だとこう思ってしまうでしょうね。

 

 けれどもパウロはそうではないということを、イエス様との出会いによって学びました。なぜなら、彼の努力、(ユダヤ教に熱心になることであれ、教会を迫害することであれ)それらは一応彼の中では神様のために行っていたことでした。けれどもそのような彼の努力で神の真実にたどりついたのかっというとそうではなかった。そうではなくして、「私の行動」「私の人生」と言って真逆の方向を走っていくパウロを引き留め、一方的にパウロの前に現れてくださったイエス様によって示されたのが福音でありました。これが12節にあった「イエスキリストの啓示」です。イエス様がパウロに出会うシーン15-16節もう一度みていただけますでしょうか。


けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、 異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき

これ主語が明確にならない日本語だと非常にわかりにくいんですけれども、ちょっと英語で見てください

 But when God, who set me apart from my mother’s womb and called me by his grace, was pleased 16 to reveal his Son in me so that I might preach him among the Gentiles,


出だしの部分、「But when God/しかし神は」っと始まっていきます。キリストに出会ったパウロの人生の主語は、「私」から「神様/主」に変わるんですね。生まれたときから私を選び分けられたのは「主」で、恵みをもって異邦人にイエス様のことを伝えるようにと召してくださったのも「主」でした。そして何より、教会を迫害していたパウロに、主ご自身が、イエス様が自ら現れてくださった。「しかし神は」、という決定的な転換点がここにあります。


私の行動、私の努力、私の考え、私の選択、私の計画、私の人生。この「私」という分厚い壁に閉ざされたパウロの人生、その壁をぶち壊してご自身を示してくださるイエス様。これが「イエスキリストの啓示」です。そのイエス様の光に照らされて、パウロはやっと理解する。自分の頑張りが人生ではないんだと。主の一方的な恵こそが救いなんだと。パウロは今まで「私」の人生を建てあげてきたと思ってきました。けれども、But when God. しかし神が、つまりイエス様が出会ってくださって「ああ実は生まれる前から主が私を一方的に選んでくださっていたんだ」ということに目が開かれたんですね。

 もちろん福音とは何ですかと聞かれれば、それは「行いではなくイエス様の十字架を信じる信仰によってのみ救われる。」っということです。それを教義として信じることはものすごく大事です。けれども福音派そこでは終わりません。福音というものは、自分の人生の見方をまるまる変えてしまう力があります。先ほど申し上げたように人生の主語が代るっていうんでしょうか。私が歩む人生から、主が歩ませてくださる人生へと変えられていくんですね。


でこういうことを語っていますとね、え?私が選ぶんんじゃくて、神様が選ぶの?っとそういうですね、自由意志vs神の摂理みたいなことを思う方がもしかしたらいらっしゃるかもしれません。けれどもポイントはそこではない。もちろん私たちに自由意志はあると思います。なんといっても私たちは神様を信じるのか、信じないのかということを選ぶ責任はあると思います。けれどもポイントは、私たちがその選択をする、ずーっと前から主は私たちを招いてくださっているということ今日覚えたいと思うんですね。神様の介入なしに私たちは変わることはできない。イエス様がパウロに出会ってくださったように、主が一方的に働きかけてくださるということがあって初めて私たちは神様の方向を向くことができるのではないでしょうか。自分の歩みを振り返ってもやはりそうだったのではないかと思います。


私はクリスチャンホームに生まれましたので、小さいころから教会に行っていましたし、神様のことも知っていました。それでもやっぱり、神様を信じると決めたのは自分だと思っています。18歳でNZに来て、19の時に色々経験し考えて自分でクリスチャンになるということを決めました。はじめての海外生活で痛いほど自分の弱さというものを痛感し、「信仰が弱い人が持つんだろ」という生意気な考えから、まさにその弱き者が自分であり、だからこそ神が必要なのだと思うようになりました。そうしてイエス様の愛を信じ、その愛に応える決心をした。それは確かに自分の決断だったんだと思います。と同時に自分では選ぶことができない状況が重なってその決断に至ったという事もまた事実です。どういうことか、さかのぼって考えますとね、なぜそもそも18歳の時にNZに来たのかというと、それは日本の高校生活で馴染めなかったということが大きかったと思います。大学付属の高校に通ってましたので、「このまま大学に進んでも楽しくはないだろ」という思いから海外にいこうとなり、NZに来たわけです。もう一個さかのぼって、ではなぜ高校生活に馴染めなかったのか、まあいろいろ理由はあると思います。けれど一つ大きかったのは入学早々アトピーがひどくなって1カ月半学校に行けなかった。学校に戻ったころには、周りは既に友達のグループができていた、ということが大きかったと思います。それを残りの3年間引きずったという感じでしょうか。でそれらの状況を自ら選んだのかと言われれば答えはNOです。好き好んでそんな状況は選びません。しかしながら振り返ってみればこの経験こそが、私にとっての神様の介入、But when Godの瞬間であったのかなあと思います。


いろんな人の証を聞いていてもそうじゃないですか。もちろんその人の道のりの中にはその人自身の選択がいっぱいあって証というのは物語をなしていきます。けれども逆に言えば様々なことが人生に起こるからこそ私たちは神様を信じるのか、それとも自分を信じるのかという選択に迫られる。多くの場合、自分で抱えきれない、困難や、試練、病気などに見舞われて、自分ではなく神様の方向を向く。そのような形でイエス様が人生に現れるということが大いにあるのではないか。そして気づくんですね、私たちが神様を求めるずっと前から、すでに神様は私たちを求めてくださっていたんだということに。

そういう一方的な恵というものを心で理解するということは非常に大事です。自分の選択や努力ではなく、すべては神様の恵。そしてその恵の究極の形が十字架ですよね。私たちが信じるかどうか、関係なく一方的に私たちの罪の身代わりとなって死んでくださったイエス様。そのことを受け入れ信じるだけで救われる。私たちの努力ではない。これこそが福音の本質の部分ではないでしょうか。


でクリスチャンであればもちろん福音がどういうものかというのはわかっている。けれど私たちは、忘れてしまう。主に選ばれて、主に救われて、主に導かれて、主の恵みの中を歩んでいる人生。であるにもかかわらず、いつの間にか気づけば「いやまあとはいえ、結局は自分で努力しなきゃ」というこの世の声に耳を傾けてしまい、信仰生活にもその影響を受けるということは大いにありうる。そんな中試練が起きようものなら、私たちはストレスを抱え、不安を抱え、もうだめだと思ってしまう。でも本当に人生の主語が、「私」から「主/イエス様」に変わっているのだとしたら、それらの不安や恐れを自分で全て抱えてしまう必要はない。理解する必要さえない。全ては主の御手の中にあるんですよね。


 もちろんだからと言って人生投げやりになってもいいっていう、そういうことじゃあない。私たちは自分なりにベストを尽くす責任がありますし、祈って考えて、これがいいんじゃないかという選択を人生の中で責任をもってしていく必要があります。けれど現実問題、それでも間違ったり、罪を犯したり、愚かな行動をしてしまうのが人間ですよね。その時に思い出したいのは、やっぱり福音という主の恵の大きさです。


もう一度だけ16節見ていただけますでしょうか。

 異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、(16節)

 この部分ですね、パウロが神様の一方的な恵、啓示によって救われたのは単なる祝福であっただけでなく、異邦人、つまり世界にイエス様のことを伝えるという大いなるミッションがありました。そしてそのミッションのために大いに用いられたのが、このパウロの過去です。彼のパリサイ人として得た豊富な聖書の知識、情熱、行動力そういったものが大いに用いられたということは間違いないでしょう。神様はパウロをそういったいみで準備しておられた。しかしながらそれ以上に、教会を迫害し、完全に律法主義という真反対の方向に進んでいた過去を持つパウロだからこそ、彼が十字架を信じる信仰だけが大事なのだと主張する時、そのメッセージには説得力や重みが加えられたということがあったのだろうなと思うんですね。いや、もちろんパウロが教会を迫害していたということが良かったわけではない、罪ですね、悪いことです。けれども主がその恵の中でそれをも用いてくださったということではないでしょうか。


 であるならば、であるならば、私たちの弱さ、罪、つらい経験、人生にあるその時には理解できない経験も全て、福音という一方的な恵の力によって、用いられるということがあると信じて歩んでいきたいと思うんですね。それこそが、人間的な努力ではなく、十字架に象徴される神の恵みを信頼するということなんだと思います。


 最後にイエス様がパウロに現れてくださったときにかけた言葉を見て終わりにしたいと思います。使徒の働き26:14


私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』

使徒26:14

サウロというのはパウロの別の名前です。イエス様はおっしゃった「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」パウロ、お前は自分が正しいと思う人生を歩んでいるが、それはうまくいっているのか。痛くはないのか? そんな呼びかけでありました。でそのイエス様の呼びかけに対してパウロは悔い改め、自分ではなくイエス様を信じるという決断をします。


 皆さんはどうでしょうか。皆さんの人生の主語は「私」なのか「イエス様」なのか。もしそれが「私」なのだとすれば「私の考え」、「私の判断」、「私の努力」、「私の計画」、「私の信じる道」、「私の人生」はうまくいっているでしょうか?痛くはないのか?本当にそのまま歩んでいって希望はあるのか? その呼びかけに私たちはどのように応答するのか?願わくばパウロのように主の恵に目が開かれて、ああ自分の人生ではなく、主が歩ませてくださる人生なんだというこを信じ歩んでいく人生でありたいと思います。


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